Day8 海上遺跡 ナン・マドール

ミクロネシア
2009年8月25日 Day8 その1
朝9時にPOC藤田さんと待ち合わせ。今日はポンペイ島の陸ツアーを申し込んでいるのだ。レンタカーでまわるには値段が高いし、時間はかかるし、デモ、ツアーなら楽だ。早速車に乗り込んで、ポンペイ島の南東部を目指して一時間ほど。いいワクワク感である。ダイビングツアーとはちがう、陸のツアーもたまにはいいかも。

それにしてもクーラーの効いた車を降りると、そこは熱帯の島。入場料3$をとられたあと、個人の敷地やら、関所やらを通り抜けてジャングルの中の小道を進むと、見えてきました。ポンペイ島南東部に隣接するチャムェン(Temwen)島の浅瀬に造られた92の人工島群から成る世界でもめずらしい海上都市の遺跡。西暦 500年代に始まり 1500年代まで続いたと推定される王朝の建物の跡。

おおっ これが写真でみた ナンマドール 遺跡か。
確かに海に囲まれている。規則正しく積み上げられた玄武岩を組んだ石垣は、建設当時のままをいまも残している。

"天と地の間"をさすナンマトルは、6角の玄武岩の井桁状に積み上げられた石垣が広大な敷地にのこっている幻想的な場所。ここは空と地面の間。不安定な場所、なのだ。

現地人にとっては、ここは神聖な場所。

昔調査に訪れた調査団が原因不明の病気で亡くなったことから、恐れられる場所でもあり、でも聖なる場所でもあり、あまり近づく人もいないらしい。掃除人くらいである。

イチバン入り口のメインの入り口まで、満潮時はカヤックでここまでこられるようです。風がやみ、なんだか蒸し暑さが倍増してきた。

ざぶりざぶりと浅瀬を歩いて入場。
六角形の玄武岩、加工をしてあるわけではなく、自然に六角形の結晶になってしまうそうだ。

ただ、重機もない時代、人間達はどうやって石を運び、積み上げ、築城していったのか。何世代にもわたって築き上げられた城は、どうして風化してしまったのか。

ここのページに詳しい調査結果が載っていますのでご参考に。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~nesos/pohnpei/nm_fr.html
建造年代(西暦)   島 名
    600頃  ワサウ(Wasau)
750~800頃  ウセンダウ(Usendau)
900~1000頃  パーン・カディラ(Pahn Kadira)
1100年代後期  ナン・ドーワス(Nan Douwas)
1250頃     パーヌウィ (Pahnwi)

かなりのミステリー、超ミステリースポットです。墓場であったり、牢屋であったり、全てが石造り。何の目的でこの海上都市が作られたのか、滅びていったのか、現在も調査中だ。
主のいない石の城は21世紀になっても、南洋の小島でこんなふうに佇んでいるのです。

HD動画も撮影してきました。2009年8月の記録です。

【HD】ナンマドール遺跡 Nan Madol Ruins ポンペイ島 FSM POC
案内をしてくれた、Pohnpei Ocean Cruise (POC)の藤田さん、ありがとう。

その2につづく。

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